講演
サンロータス研究所の代表 竹岡誠治の講演、寄稿
『法華経の旅』出版記念の会 著者挨拶
2024年(令和6年)7月17日 日本プレスセンター レストラン アラスカ
会場内写真:吉田じん撮影
今日は、私の出版記念の会に際して、遠くは北海道から、沖縄から、全国から、旅費を使って、会費を払っていただいて、
お集まりいただきました。また、私の出身の広島からは、修道高校の大先輩で広島大学名誉教授の三嶋弘先生、同じく高校
後輩にあたる斉藤鉄夫国交大臣もお越しいただきました。あとで、林芳正内閣官房長官もお見えになります。お集まり
いただいた皆様、本当にありがとうございます。
会の初めに、チンドン、チンドンと、賑やかに場内を盛り上げていただきました。これは、私が所属しております丸
の内朝飯会という60年の歴史を持つ朝の勉強会がありまして、そのメンバーで、本日も参加されております建築家の楜澤
成明さんのお孫さんにあたる栗原モナコさんとその楽団が演奏してくださったものです。栗原さんは20歳の若い女性で
すが、伝統芸であるチンドン屋を本業としてされている方です。敬意を表して紹介させていただきます。
そして、徳島から、笹田孝至先生がお見えになっております。本日、皆様にお持ち帰りいただくなかにありますが、『皇都
ヤマトは阿波だった』を著された先生です。
この一書の魂は、日の本のふるさとは阿波にあった、天皇家のルーツは阿波にあり、さらに、天照太神は、単なる神話世
界のことではなく、阿波に実在していたというもので、徳島県内の式内社を検証するなかで出された結論です。記紀神話に登
場するさまざまな物語の舞台も阿波の各所に位置付けられるという驚くべき内容です。
そのなかで、天の岩戸の物語では、アマテラスが隠れて世界が真っ暗になったのを、引っ張り出して世界に明るさ取り
戻したわけですが、その故事にならって、本日は、古神道や神楽に通じておられる表博耀さんに乾杯の音頭をとってい
ただきたいと思っております。
ともかく、この暗い世の中に、アマテラス、太陽を輝かせたい、これが私の『法華経の旅』の副題でもあります。
私どものサンロータス研究所の名前は、「太陽はロータスから生まれた」という5000年前の古代エジプトの神話に由来
しています。太陽さえ生むロータス、宇宙根源のパワーの存在に基づく人生を生きるとの意味から、この本を作りました。
その契機には、私の人生の師匠である池田大作先生が昨年の11月に亡くなられたことがあります。
本日、ご出席いただいております古賀誠先生(自民党元幹事長)に、これは、師匠池田大作先生に捧げる一書ですと申し上
げたところ、「よし、そういうことなら私も一文を寄せよう」とおっしゃってくださり、「政治とは平和の国を作ること」という
一文を寄せていただきました。
そのなかでは、「野中先生と私で自公政権をつくったのは、ひとえに平和のためだった」と、自公政権の原点を確認された上
で、「現今の政治状況は、政治の安定と国の平和を願って野中先生とともに自公政権を築きあげた頃に込めた理念と魂が、少し
忘れられてきているように思います」と、警鐘を鳴らされておられます。
自公の先生方には、この古賀先生の一文をしっかり読んでいただきたいと思います。また、本の最後には、野中先生の遺言
ともいえる一文、2010年に私の還暦記念に出版した『サンロータスの旅人』への寄稿文「発刊に寄せて」も載せておきました。
ともかく、日本の未来を担う皆さんに読んでいただきたいとの思いを込めて、この本を作りました。
本の作業がほぼ終える頃、私はすい臓がんになりました。これまで私は3度がんに罹っており、この4度目が、ラスボスとも
いうべき、すい臓がんです。がんの中の横綱です。
この本のあとがきは、今年の5月3日、がん研(公益財団法人がん研究会)有明病院の、手術後の病室で書きました。こう
して元気でいられるのは、わが銀座慈秀会クリニックの中田秀二理事長と山本立真院長、斉藤のり子看護師のケアと、クリニ
ックのネットワークによって実現した、がん研有明病院の上部消化管内科部長、後藤田卓志先生の診断と、医長小野嘉大先生
による見事な執刀のおかげです。なかでも後藤田先生は、先ほど申し上げた阿波、徳島県の後藤田正純知事のお兄様なのです
が、入院中、4度も病室を訪ねてくださり、私が早く元気になるよういろいろ配慮してくださいました。
わが銀座慈秀会クリニックとがん研有明病院の皆さま、こうして命を助けていただきまして、ありがとうございました。
私には孫がおりまして、北林香織と正輝といいますが、数日前に、我が家に来ておりまして、その後、メールを送ってくれま
した。それは、アメリカのトランプ前大統領が集会で狙撃された写真(現地7月13日)でした。
コブシを挙げるトランプ氏と、背後には星条旗が写っていて、「私は屈しない」とアピールしている実に印象的な写真でした
。私は、これは、天が「生きろ」と言ったものだ、と思いました。天がこれを采配したものなら、トランプ氏は必ず大統領に
返り咲いて、ウクライナとパレスチナに和平をもたらすに違いないと思いました。
私も、こうして命が助かったのも、天から、「まだまだやることがあるぞ」と、こう言われていると思って、皆さまのために
生きてまいります。
本日、皆様にお持ち帰りいただく袋には、拙著とともに、サンロータス研究所が制作した『法華経』も入れてあります。
わが人生を振り返ると、「なぜ、こんな目に合うのか」「どうしてこんなことが起こるんだ」といったことの連続でした。
その試練のなかに、自分の人生を開き、多くの人に希望をもたらす種があると教えているのが法華経であり、その気づきを
記したのが、私の本です。困難に見舞われたら、それは自分のためなのだと思って強く生きていっていただきたい、その願い
を込めて書きました。分厚い本ですが、どうか、1ヶ所でも読んでいただければ幸いです。
以上、皆さまのますますのご健勝を祈って、御礼の言葉といたします。







中斎塾フォーラム季刊誌『知足』掲載の
竹岡誠治のコラム「喜望峰」から
*一般財団法人 中斎塾フォーラムは、日本の思想的リーダーの一人で、号を中斎と名乗る、群馬県の実業家 深澤賢治氏(株式会社シムックス代表取締役会長)が主宰する集いです。論語の精神を現代社会に生かして人材を育成することを目指し、群馬と東京で月一回、開催されています。 ここでは阿波(徳島)に関するテーマでの私のコラムを2編掲載しました。
「君が代」に込められた精神とは
本年(2024年)4月、『皇都ヤマトは阿波だった』が発刊され大反響を呼んでいます。
著者は笹田孝たかよし至氏で、徳島県内の式内社を丹念に検証するなどして、古代阿波に大和朝廷のルーツがあったと論証し、記紀神話の通説を覆した興味深い内容です。
そのこともあって先日徳島に行ったところ、古神道の大家I氏にお会いして、明治維新や太平洋戦争時の国家神道とは違う、古くからの神道の精神を教わりました。
あわせて「君が代」に歌われる「さざれ石」をいただきました。ちょうど手の平大の大きさですが、粒状の石が凝固して一つになったものです。徳島の鮎喰川の上流で美しい「さざれ石」が採れると聞き、探索したが見つけられずにいたので、ありがたく頂戴しました。
その石を見ながら、先般の自民党総裁選を思いました。各候補はいわば「さざれ石」であり、バラバラのままでは力は発揮されませんが、調和し団結することで国を導き繁栄の道を開けるのではないかと。
「君が代」の「さざれ石の巌となりて」は「和を以て貴しと為す」の精神であり、調和と団結が「千代に八千代に」栄える道だと教えるものだと思いました。 この精神をもって、うるわしい時代を開こうではありませんか。
(『知足』第71号 2024年10月)
阿波・吉野宮への旅
本年2月末、『皇都ヤマトは阿波だった』の著者笹田孝至先生のお説に従い、先生のご案内で持統天皇(第 41 代)が31回も行幸されたという徳島の吉野宮の地を視察してまいりました。県西部の三好市三野町加茂野宮のその地には、折しも大寒波の襲来で阿讃山脈も雪に霞む中、龍頭の滝という清らかな気に満ちた滝がありました。
持統天皇は女帝で、お子様の草壁皇子を亡くされ、当時の実力者藤原不比等からは奈良への遷都を迫られる中、奈良ではなく阿波(吉野川市鴨島町) に藤原京を造って住まわれるなど、抵抗を試みながらも、ついに奈良に遷都するという、ちょうどその時期にあたる天皇でした。
31回も行幸されたのも、滝の清らかな気の中で悩みや邪気を払い、再び気持ちを奮い立たせて苦境に立ち向かわれるためではなかったかと、実地に見ることで、推察し得心できました。
いずれにしても、混迷する世界に、日本の役割がますます大きくなってきたと感ずる昨今、日本古来の「和を以て貴しと為す」、あるいは天地自然との一体の中から国を治めるとの清らかな「すめらみこと」の伝統を感得し直して事に当たらなければならないと、深く感じた阿波の旅でありました。
(『知足』第72号 2025年2月)